【書評】清水幾太郎『本はどう読むか』(講談社現代新書)
こんにち、お久しぶりの投稿です。
今回は下記の本についての感想。読書論としてはもう半ば古典かしら・・・
社会人向けとしても面白いですが、メインの対象は学生さんかな。
みなさんは、どんな風に本を読みますか。
どんな風に本と向き合いますか。
本屋で手にとって、「読みたい!買おう!」と思ったのに、
家に帰ってみると、ちょっと「めんどくさいな〜」が優勢になって、
いつの間にか積読になってしまった本。
はじめに、まで読んで満足してしまって、
本論は読みかけのまま放置してしまった本。
想像以上に面白くて、夜に寝る時間を削ってまで、
一気に最後まで読み通してしまった本。
いろいろあると思います。
そして、「あれがまだ読み終わってないなぁ」とか、
「途中で終わってるあの本、最後まで読まなきゃ・・・」
とか、余計なストレスを抱えてしまう。
著者は、書物との向き合い方について、次のように述べています。
相手が誰知らぬもののない古典であろうと、世間で大評判の名著であろうと、自分の心の歯車と嚙み合わぬ本は投げ出した方がよい。敗北感や劣等感は無用である。
(Kindle版 位置1144)
凄いですね。言い切りますね。
本は、そのときの自分に合ったものがあります。
合わない本を、名著だからとか、せっかく買ったからとか、
何かしら理由をつけて最後まで無理して読もうとする態度を、
著者は「ケチ」だと言い放っています。
自分の「歯車」に合う本を読めばいいのであって、
そうでない本は、今は時期ではないということで、
そのままにしておこう、という感じでしょうか。
本との距離の取り方について、非常に示唆的です。
また、書物の種類を以下の3つに分類しています。
①実用書 「生活が強制する本」
②娯楽書 「生活から連れ出す本」
③教養書 「生活を高める本」
そして、主に「教養書」との向き合い方や、「教養書」を読む意義について、
著者自身の経験をふまえながら自論を展開されています。
ある「教養書」をバイブルとして崇める人たちの精神性を、
バッサリ批判しており、その批判をとおして、教養書との向き合い方を、
わかりやすく説明してくれます。
さらに、読書ノートの効用について。
自身の読書ノート作りの変遷に加えて、
「記憶に自信がなかった」といぅ思想家モンテーニュの事例も取り上げ、
本の内容を記憶に止めること、そのための「書く」ということについて、
詳細に記載されています。下記はその一部。
●客観主義的ノート法 〜忘れない工夫
書物に忠実な態度──私は、それを客観主義と呼ぶ──で作られたノートというものは、私の経験では、思ったほど役に立たないものである。
(Kindle版 位置800)
難かしさは、ただ或る書物を読むことの難かしさではなく、読んだ本について書くことの難かしさ、すなわち、書けるように読むことの難かしさなのである。
(Kindle版 位置970)
私たちは、表現の努力を通して、初めて本当に理解することが出来る、それを忘れて貰いたくないのだ。本を読みながら、「なるほど、なるほど」と理解しても、そういう理解は、心の表面に成り立つ理解である。浅い理解である。本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現した時、心の底に理解が生れる。深い理解である。
(Kindle版 位置1019)
書かれた時代は古いこの本ですが、
現代の我々にとっても非常に示唆に富む内容となっています。
今までの自分の読書を、一度この著者の視点を借りて、
俯瞰してみてはどうでしょうか。
もしかしたら肩の荷がおりるかも・・・
もしかしたら反省から新しい読書スタイルを見つけられるかも・・・
気になった方は、どうぞ読んでみてくださいね。