当世無職気質ー僻地ニート日誌ー

うつ病休職から退職、転職し、ヘロヘロになりながらもなんとか生きてるミドサーOL

【書評】マックス・ウェーバー『職業としての学問』(岩波文庫 白209-5)

古典の名著ですね。

 

研究者や教員として、学問を職業としようとこころざす場合、どういった心構えが必要か。そもそも学問を職業とするとはどういうことなのか、そんな疑問に対する答えを探して本書を再読しました。

学生時代に読んだときはあまり強い印象は残らなかったんですが、今回、年齢を重ねた上で、自身のキャリア選択に悩んでいる中で読んだために、刺さる部分も多かったです。

 

職業としての学問 (岩波文庫)

職業としての学問 (岩波文庫)

 

 

さて本書、ウェーバーが1919年1月にミュンヘンで行った講演記録です。

訳者による「旧約の序」によると、本書の内容はほぼ下記の3点。

①経済的意味の職業

②職業としての学問に対して人々(特に教師・研究者)がとるべき心構え

③学問の職分

 

印象に残ったのは②の論点ですね。

そこから引用を少し。

pp.23

「学問に生きるものは、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ、自分はここにのちのちまで残るような仕事を達成したという、おそらく生涯に二度とは味われぬであろうような深い喜びを感じることができる。」

 

pp.22-23

「こうしたあまり類のない、第三者にはおよそ馬鹿げてみえる三昧境、こうした情熱、(中略)これのない人は学問には向いていない。そういう人はなにかほかのことをやったほうがいい。なぜなら、いやしくも人間として自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては、無価値だからである。」

 

pp26-27

「さて、学問上の霊感はだれにでも与えられるかというと、そうではない。それは蝉蛻的な宿命のいかんによって違うばかりでなく、またとくに「天賦」のいかんによっても違うのである。」

 

pp.30

「 学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。」

 
研究をこころざそうと思ってる人にとっては、深く首肯出来る、もしくはそうでありたいと共感できる部分ではないでしょうか。
 
訳者によると、注釈の省略や本文追記など、読者の便宜をはかって若干の加工がされているようです。
最近、新訳も出ているので、比較して再読してみたいですね。