当世無職気質ー僻地ニート日誌ー

うつ病休職から退職、転職し、ヘロヘロになりながらもなんとか生きてるミドサーOL

日常記録・時間管理のススメ

ダラダラしてたら1日終わって現象

毎日を丁寧に暮らす…
なんとなくのんびり過ごしていても、丁寧に暮らすことは出来ると思いますが、
「のんびり」がいつの間にか「だらだら」に変わってしまい、気づいたら1日を無駄にしてしまった…
そういうことってありますよね。
(私はよくあります)

もちろん、「だらだら」すごすこと自体が悪いわけではないと思いますし、むしろ意識的に取り入れて心身のメンテナンスを適度に取っていったほうが良いと思っています。

問題なのは、意識して「だらだら」しているわけではないのに、「だらだら」しちゃった時間の使い方。
体や心のエネルギーは余っているのに、
惰性で、

Twitterで遊んでしまう
・ネットサーフィンで遊んでしまう
・なんとなくテレビを見続けてしまう

…気づいたら深夜になっていて、
「あれ?私今日何してたん??」
となってしまう…

…私はよくやってしまいがちでした。
とくに、転職の狭間などの無職期間など特に…

せっかく時間がたっぷりあるなら有意義に使いたいですよね。

※もちろん、仕事で疲れていたり、ストレスでエネルギーを消耗しているときは、回復を最優先するべきです。あくまでも、“めっちゃ元気なのにだらだらしちゃう”のを想定しています。

色々な生活記録

うつ病(治療中)の生活記録

私はうつ病に長くかかっていたことがあるのですが、治療の一つとして、日常記録をつけていた時期があります。
…企業勤めで休職しているときは、復職の参考資料として提出を義務付けられることもありますね。
うつ病の生活記録は、就寝・起床・食事・外出などの、概日リズムの正常化チェックを目的とするもので、ちゃんと常識的な時間に眠れているか、睡眠は取れているかを医師と共有して治療に役立てて行くタイプの生活記録ですね。

これでも自分の行動をチェックして見直すことはできますが、
あくまで目的が治療なので、元気なときに使っても内省には繋がりにくいかな。

生活リズム表の例。
これは会社から私が紙でもらったものを、
エクセルで作成し直したフォーマットです。

認知行動療法の生活記録


また、認知行動療法として、行動と気分状態の記録として、何をして、どう感じたかを記録していく生活記録もあります。

これは、うつ病の最悪期を抜けたころに、臨床心理士さんからカウンセリングで勧められたものですが、“動かないでいることが、鬱状態をさらに悪化させてしまう”ことを認識して、行動をかえることで、自分の気分変化を確認し、うつ症状を少しずつコントロールできるようにしていくようなタイプの生活記録です。

自立的にうつ病をコントロールしていこう、というものなので、
休職中や、復職リハビリ中などに向いていると思います。
(本当に重度のときは、そもそも寝ていることしか出来ませんからね。。。)

上記は、私が実際に(今でもたまに)使う、ワークブックです。
似たような認知行動療法のワークブックはたくさん出ていますので、
使いやすそうなものを自分で探してみるのも良いかもしれません。

日常を生活していて、メンタル不調を感じた時につけてみるのがオススメの生活記録ですね。

勉強記録

主に中高生の勉強記録用になりますが、
勉強記録用のさまざまな罫線があらかじめ印刷されているノートが各社から販売されていますね。

社会人でも資格試験を目指す場合に、短期・長期の勉強計画を立てるのにとても便利だと思います。

オススメなのが、下記のコクヨスタディプランナー(ウィークリー)
サイズはB5 A5の2種類があり、両方とも見開きで1週間の計画を立てられるようになっています。時間軸は04時→03時なので、夜更かし勉強にも対応できます。

私は教材の大きさに合わせてB5を使っていましたが、A5版でも十分なスペースがあると思います。
また、1冊で半年以上使えるため、勉強時間が長くなるような難関資格にも向いていますね。

参考:私の使い方と失敗談

夏の資格試験をゴールに定めて予備校の講座を申し込み、勉強計画用にスタディプランナーを嬉々として購入して使い始めたわけですが、
そもそも私は、うつ病寛解期であることをすっかり忘れておりまして…

寛解期に頑張りすぎてしまって再発するパターンも、過去に何度も繰り返してきたのでした。

しかも、元気だった頃の体力精神力で計画をたててしまう…
当然、病気が少し落ち着いているだけの状況下でそんなことをしてしまったら、うつ病の再発リスクが爆上がりしますよね。
(まさにその結果として、現在も心療内科通院を再開する羽目になっています。)

そして、そのときの勉強ログがこんな感じ。

使い始めた頃のスタディプランナー
(ウィークリー)

はい。勉強始めて3ヶ月ほどで完全に心身を壊しました。
MAXで週30hくらいの追い込みしていましたおかげで自律神経ぶっ壊れ…

…体調を崩してからは、このノートを開くことすら出来なくなってしまいました。

そして、再び心療内科に駆け込み、
医師から「がんばりすぎない」ように、との指導を受けました、

…が、「がんばらない」って一体どうすればいいの??

体調が戻れば、勉強はしたいんです。…資格取りたいし。。。

でも、机に向かったり教材を開くと、心臓が締め付けられるように苦しい。
おそらく、「遅れた分を取り戻さなきゃ」というプレッシャーを無意識のうちに自分にかけてしまうんだと思います。

また、「何よりも勉強が最優先」という呪いのような認知の歪みに囚われていて、
どうしても趣味や好きなことを後回しにしてしまう…
「勉強が計画に追いつくまでは遊んではいけない」という思考に無意識にずっと縛られるんですね。

そこで思いついたのが、
このスタディプランナーを、むしろそういった認知の歪みを矯正するツールとして使えないか、でした。

生活記録としてスタディプランナー(デイリー)を使う

スタディプランナーにはデイリー版もあります。
サイズも、ウィークリーと同じB5 A5の2種類展開です。
1冊で63日なので、2ヶ月はまるっと使えます。
おそらく、中高生の期末試験や、夏休みなど長期休暇用を想定しているのでしょう。

細かい製品仕様はコクヨの公式サイトの方が見やすいかもしれません。

https://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/campus_studyplanner/

これ、生活記録をつけるのに結構便利な気がして、Amazonで購入してみました。
※プライムだと1冊では買えない(3冊セットから)ので注意

レイアウトはウィークリーで見開き2ページだったものが1日1ページになっているだけで、時間軸やTODO欄は同じなので、使い心地が大きく変わることはないかなと思います。


スタディプランナーだけど、毎日のTODOに趣味やリフレッシュメントを持ってきてもいいわけですよね。
勉強の優先順位を、趣味の下に持ってくる、
それを実際にノートに序列をつけて書くことで、頭の中だけではなく、視覚からも意識づけしていけたらなと思います。

「無理をしすぎない」生活記録をつけていって、時に見返して反省し、
ゆっくりと、確実に、健康を完全に取り戻していけたら良いですね。



実際の使用感については、使い切った9月末頃にまたレビューしたいと思います。
どのくらい効果があったか??お楽しみに笑

毎日を丁寧に生きる – 基本にかえろう。。。

こんにちは。asakunoです。なんだかんだで、半年以上も更新が空いてしまいました。
その間、もっとも大事にしようと思っていた、“毎日を大切に生きる”、“自分を大切にする”といった目標をすっかり忘れ、仕事に忙殺され、自分を粗雑に扱う毎日を過ごすなかで、また心身の調子を崩してしまいました。

自律神経系の調整がうまくいかなくなり、不眠が再発、交感神経優位による心臓の苦しさ等々に悩まされ、再び、心療内科のにお世話になることとなりました。

現在は、ジアゼパムセルシン)、エスゾピクロン(ルネスタ)、アリピプラゾール(エビリファイ)などを組み合わせて飲んでいます。
(貧血も進んでいたので、クエン酸鉄Na(フェロミア)も…)

まずは、体調をととのえることを最優先に。
そしてまた、読書レビューや、好きなテーマを記事にしていくことも、再開したいなと思います。

と、いうわけで…今日のところはひとまず近況もかねたご挨拶でした。

1月2日 抹茶ガトーショコラ(nana's green tea)

こんばんは〜asakunoです。

 

今日から初売りをしているところも多かったですね。

私は電車に乗って吉祥寺の街をふらふらし、

半額セールのアクセサリーやお茶、可愛い器など、自分へのご褒美を購入してきました!

途中で立ち寄った、京王キラリナに入っているnana's green teaでお茶しようと思ったら、なんと、「あけましておめでとうございます」ともにお茶をいただいてしまいました!!やったー!!

f:id:asakuno:20210102232542j:plain

いただいたお茶(かぶせ茶のようです!)

オーダーしたのは抹茶のガトーショコラと煎茶‪*1

ガトーショコラ、抹茶の香りが強くて美味しい〜

f:id:asakuno:20210102232346j:plain

抹茶ガトーショコラと煎茶

 店内はそんなに混んでいなかったし、

テーブル席は一つおきだったので、

快適にティータイムをすごせました!!

 

1月6日スタートというハーゲンダッツコラボの抹茶スイーツもとても美味しそうだった〜

どうか新型コロナがはやく収束してお出かけしやすくなりますように!!

 

www.nanasgreentea.com

*1:o(。>ω<。)o

【読書】東浩紀『ゲンロン戦記』(2020年、中公新書ラクレ709)

あけましておめでとうございます。

2021年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は2020年よりもブログの更新をがんばっていけたらと思います。

 

さて、2021年の一発目が、、、コレになってしまいました。

(読み終わったのが2020年最後の本で、レビューが年内に間に合わなかった)

Twitterなどで少し話題になっていたので、読んでみました。

2020年12月10日初版ですので、店頭にはもう少し並んでいた??

私が購入したのは12月15日の再版です。(・・・売れたのかしら??)

 

読む動機は、はっきりあったわけではなく、なんとなくですね。

東浩紀については、学生時代に『動物化するポストモダン』を読んだり、最近でも『弱いつながり』を読んだくらいで、そもそもあまり著者に詳しくなくて、

また「ゲンロン」についても「なんか聞いたことあるなぁ」程度で、

オンラインサロンなどのネットワークビジネスとの違いもよくわかっていませんでした。

 

本書カバー折り返しにある著者略歴によりますと、

1971年東京生、批評家・作家。

東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)、

「専門は哲学」ともあり、本書のなかでもご自身の「哲学」(思想?)について、

それなりの紙幅を割かれている印象があります。

 

語り下ろし、ということで、東浩紀が自身の10年を回顧しながら語ったものを、加筆修正してまとめて本書が出来上がったようです。

 

あとがきで、収録後に「残念な事件が起きた」とありますが、前述したように私は著者に対してほとんど関心を持っていない人間だったので、当時の影響等については想像も及びませんが、

ゲンロンの有料会員(?)の方にとっては、衝撃的で、より感情を揺さぶられながら追体験する感覚で本書は読めるのかもしれませんね。

 

ざっくりですが、私が抱いた感想を備忘メモとして。

 

●アカデミズムの世界の人が、起業して奔走した10年の記録

 営業しかやったことのない人間が勢いベンチャー起業したら、

 いかにも発生しそうな管理にまつわるドタバタがたくさん語られています。

 かなり赤裸々に書かれているので、ありそうでなかった起業奮闘記かもしれません。

 また、アカデミズムや論壇の世界にいた人が、

 実業世界をどのように見ているのか、についても垣間見ることができます。

 私は企業の間接部門での就労経験が長いので、

 「あぁ、そういう人多いよね」という複雑な心境で当該部分を味わいました。

 とはいえ、あくまでも少人数の企業体での話なので、

 大企業の間接部門にしかいたことのない人にとっては別の意味で新鮮かも。

 あとは、人間の実年齢と中身って比例しないんだなぁっていう純粋な感想もありますね。これは悪い意味ではなくて、自分のなかの幼さの克服は40代になってもできるんだなぁと。

 私も、人生が中盤から後半に向かいつつあるなかで、

 自分自身の凝り固まった思考の癖や、克服できないと思い込んでいた自分の嫌いな部分がありますが、これから変わることも可能なのかもしれない、

何事も「遅い」ってことはないのかもしれないなと、ちょっと励まされました。

 

●ゲンロンを通して実践している(してきた)著者の思想が面白い

 雑誌の刊行、ゲンロンカフェ、旅行企画、スクールなど、

 多角的に事業を展開されていて、(それを「誤配」の産物と呼ばれていますが)

 そういった一つ一つの成功・失敗談も面白いんですが、

 事業に奔走する中で著者が新たな気づきを得ていく描写を私は面白く感じました。

 

一部引用しますね。

 

「ぼくみたいじゃないやつ」とやっていく意味

(前略)

 言い換えれば、僕は自分の関心が自分だけのものであること、自分が孤独であることを受け入れたわけです。「ぼくみたいなやつ」はどこにもいない。ぼくと同じように、同じ関わりかたでゲンロンをやってくれるひとはいない。けれども、だからこそゲンロンは続けることができる。これからのゲンロンは「ぼくみたいじゃないやつ」が支えていく。ぼくはそのなかでひとりで哲学を続ければいい。ひとりでいい。ひとりだからこそできる。(pp.223)

 

ホモソーシャル性との決別

(前略)

 ホモソーシャルな人間関係が問題視されるのは、要は、自分たちの思考や欲望の等質性に無自覚に依存するあまり、他者を排除してしまうからです。ひらたくいえば、同じような人間ばかり集まっていて気落ち悪いということですが、まさに論壇や批評の世界はそのような批判を浴び続けてきました。

(中略)

 多様性が大切だとひとは簡単にいいます。けれども、その大切さを、自らの人生に引き付けて実感するのはそれほど簡単ではありません。ぼくは2018年にゲンロンと自分がともにコントロール不能になった経験を通して、はじめてその大切さに気づきました。自分のなかには「ぼくみたいなやつ」を集めたいという強いホモソーシャルな欲望が巣くっている。それこそがリスクであり限界なので、意識的に対峙していかないとどうしようもない。

(pp.224-226

 

 同質性の高い人間 と寄り集まってコミュニティを形成し、そこを安住安息の地としてしまうのは、アカデミズムの人間に限った話ではありませんよね。

 濃淡の差はあれど、いろんな人に(自身の日常を内省するという意味で)刺さる部分ではないかと思います。

 

 また、「啓蒙」についての著者の考え方も面白いです。

 今まで著作のなかで述べられてきたような成功失敗を踏まえての、実体験に根ざした「啓蒙」定義だからこそ、実感がこもっていて、また共感させられる印象もありますね。(オンラインサロンなど「信者」を形成するものについては批判的なスタンスをとられているようです。)

 

  いまの日本に必要なのは啓蒙です。啓蒙は、「ファクトを伝える」こととはまったく異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提のうえで、彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか。それが啓蒙なのです。それは知識の伝達というよりも欲望の変形です。

 日本の知識人はこの意味での啓蒙を忘れています。啓蒙というのは、ほんとうは観客をつくる作業です。それはおれの趣味じゃないから、と第一印象で弾いていたひとを、こっちの見かたや考え方かたの搦め手で粘り強く引きずり込んでいくような作業です。それは、人々を信者とアンチに分けていてはけっしてできません。

(pp.259)

 

 

面白いですね〜

搦め手で粘り強く引きずり込んでいくと、またホモソーシャルなコミュニティができそうな気がしないでもないですが、

結局は何事もバランスの問題なのでしょうかね・・・

 

ともあれ、面白いおじさんだな〜という印象でした。

(とても雑な感想)

今後の著者がどのように活動を展開していくかも、楽しみですね。

 

 

というわけで、書籍の紹介とも感想ともつかない駄文をしたためてしまいましたが、

今回はこの辺で。

 

年末に少し読書も進みましたので、また近日中に更新したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

ニート日記

ニートになってから、唯一継続しているのもがあって、

まぁまぁ有名だとは思うんだけど、

これをやっている。

いま、6週目まできて、そろそろ折り返しかな〜。

効果とは所感については、ひととおり終わってから改めて話せたらと思います。

とりあえず、やってるよ〜という、記録だけね。

近況について

こんにちは。asakunoです。

そういえば近況などについてまったく書いていなかったなと…

実は、11月に仕事を辞めまして、ただいま絶賛無職をしております。

転職につぐ転職、合わない仕事、人間関係…

なんかねぇもう、心から疲れました。

 

大学院を出てから10年強、会社員をやってきたわけですが、

とことん合わない…苦しい。とにかく苦しい。

4月から新しい会社で働いていたんですが、

今回の会社で上手く働けなかったら少し休もうと以前から考えていました。

 

なので、とりあえずニートをしています。

ニートの日常については、もしかしたら改めて書き始めるかもしれませんが…

 

これからどうして生きていったらよいのか、

自分は何を目指したいのか、何を楽しめるのか、何が好きなのか、

めっちゃ混乱しているのが現状です。

 

まずは年内はゆっくり休んで、

来年からすこしずつ行動を起こせたらよいなぁなんて思います。

 

最近読んだ本とか、読みかけの本については、

少しずつブログで読後感想を綴っていきたいと思います。

ブログでドラフトのような形でとにかく書きまくって、

webサイトで記事としてまとめていけたらなぁと思いつつ・・・

両者の使い分けはまだきちんとできていません。

なぜなら、私自身の方針がはっきりしていないからね・・・

 

九鬼周造「「いき」の構造」にまつわるお話

 原典と、原典を読み直すきっかけになったエピソード、松岡正剛の解説、

 NHKの100分de名著シリーズの別冊の解説を読んだ感想を中心に、

 そのうち記事を書きます。

 

正岡子規

 『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』と紀行文集ら辺を読んだ感想と、

 子規をめぐる人間関係やらエピソードの紹介なんかで軽く書きたいと思います。

 そういえば伝記も買ったんだったな。読まなきゃ。

 

・そのほか

 読書論について、清水幾太郎の新書を再読してるので、読みおえたら、

 外山滋比古やピエール・バイヤールともおり混ぜながらごにょごにょ書きたい。

 

・見かけた本について

 本屋で『無職本』(水窓出版)というのを見かけました。

 とてもインパクトのある装丁。

 無職なので思わず手にとってしまった…

 “無職”であることにたいする後ろめたさや焦りなんかを和らげてくれる本かなぁと思います。

 挿入されている漫画も、とても共感のできるもの。

 「無職」に対する世の中の一般的な「価値観」が少しでもゆるいでくれるといいなぁと思います。

 こんなに生きづらい世の中なんだから、モラトリアムがあってもいいじゃないねぇ。

そういえば、Amazonのリンクを貼るときに、テキスト&画像でURLを作成してもうまくブログで表示されないんですよね。

もうちょっとちゃんとhtmlとCSSについ学ばないとだめかな…

【読書】外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社文庫)

こんにちはasakunoです。

 

今回は、外山滋比古『乱読のセレンディピティ』を紹介したいと思います。

 (外山滋比古さん(英文学者)は、今年(2020年)の7月に亡くなられました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。)

 

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

 

 

 

さて、前回のブログでピエール・バイヤールの書籍を紹介し、

読書論について関心が高まっていたところで、たまたま書店でこの本と出会いました。

 

asakuno.hatenablog.com 

<概要>

セレンディピティserendipity)”とは、

「思わぬものを偶然に発見する能力。幸運を招きよせる力。」

 を意味します。(広辞苑

 

本書は、講演が元になっているということもあって、

口述筆記のようなライトな書き振りなので、誰でも肩の力を抜いて読める本だと思います。(あとがきには、「大部分は新稿」と記されていますが…)

 

また、知識第一主義を否定するスタンスで語られますので、

上記のピエール・バイヤールの著作を読んで、共感された方には、うってつけかなと思います。

内容は、タイトルどおり乱読の効能について、著者の経験を元に、エッセイのような語り口で綴られていきます。

 

どちらかといえば、これから卒業論文を書く学生向きかなとは思いますが、

読書を趣味とするような社会人の方にとっても、今後の読書スタイルの参考に大いになると思います。

(読書家にほど刺さる論点が多いとは思います…)

<読書に対する著者のスタンス>

本を舐めるように読むのではなく、風のように読め、(まえがき)

 

そして、著者の読書スタンスに大きな影響を与えたであろうエピソードが紹介されています。

 

文庫本のためのまえがき(pp.1〜)

(前略)大学が卒業論文を書かせていたころ、よく勉強する、まじめな学生が、つまらぬレポートのようなものを書いた。参考にした本を引きうつしにしたようなものもある。それが知的正直にもとるという自覚すらないのだからあわれである。

 それに引きかえ、あまり勉強に熱心でなく好きな本を読んでいる学生が、ときとして、生き生きとした、おもしろいモノを書いた。論文とは言えないにしても、自分の考えたことが出ているのである。少なくとも人の考えを借りて自分のもののように思うといった誤りはおかしていない。やはり、本を読みすぎるのは問題である。そう思って、本の読みすぎを反省したのである。

 

…まさに私(前者)だなと思って読みました。

「読まなくてはいけない」というプレッシャーに押しつぶされ、また、参考文献を読み漁りすぎた結果、いろんな研究書のつぎはぎのような卒業論文になってしまう・・・

あるあるではないかと思います。

 

読書一辺倒にならず、自力で考える力を身に着けるためには、どういったスタンスで本と向き合っていったら良いのか、

著者なりの読書論が具体的な経験をもとに語られていきます。

<目次>

1 本はやらない

2 悪書が良書を駆逐する?

3 読書百遍神話

4 読むべし、読まれるべからず ※下段にて一部紹介

5 風のごとく……

6 乱読の意義

7 セレンディピティ

8 『修辞的残像』まで

9 読者の存在

10 エディターシップ

11 母国語発見

12 古典の誕生

13 乱談の活力

14 忘却の美学 ※下段にて一部紹介

15 散歩開眼

16 朝の思想

 

<一部紹介>

私が読んでいて、個人的に面白いなぁと思ったところを、いくつかご紹介したいと思います。

 

4 読むべし、読まれるべからず

・知識と思考は相反する関係にある

知識はすべて借りものである。頭のはたらきによる思考は自力による。知識の借金は、返済の必要がないから気が楽であり、自力で稼いだように錯覚することもできる。

 読書家は、知識と思考が相反する関係にあることが気がつくゆとりもなく、多忙である。知識の方が思考より体裁がいいから、もの知りになって、思考を圧倒する。知識をふりまわして知的活動をしているように誤解する。

(中略)

 本を読んでものを知り、賢くなったように見えても、本当の人間力がそなわっていないことが多い。年をとる前に、知的無能になってしまうのは、独創力にかけているためである。知識は、化石みたいなもの。それに対して思考は生きている。(pp.58)

* * *

 知識があると、本来は役に立たないものでありながら、それを借用したくなる。そしてそれを自分の知識だと思っている。(pp.60)

※下線は引用者による 

 

今までの自分の読書の仕方について、意識しないようにしていたところをストレートに刺してくる感じですよね・・・

14 忘却の美学

・記憶は新陳代謝する

記憶は原形保持を建前とするが、そこから新しいものの生まれる可能性は小さい。忘却が加わって、記憶は止揚されて変形する。ときに消滅するかもしれないが、つよい記憶は忘却をくぐり抜けて再生される。ただもとのままが保持されるのではなく、忘却力による想像的変化をともなう。(pp.197)

 

ピエール・バイヤールが言うところの、

「遮蔽幕(スクリーン)としての書物」や「幻影としての書物」を想い起こしますね。

両者の読書論の方向性が似ているなと思う根拠でもあります。

(まぁ理解が浅かったり、私の解釈誤りも多分にあるでしょうけれど、

それも私の”内なる書物”として消化されてるので仕方ないですね〜。

こんな感じで気楽に書評(ともいえないただの感想駄文)が書けるのも、

ピエール・バイヤールのおかげです。本当に読んでよかった。)

 

 <おわりに>

「本を読んでいない」という「やましさ」を解消することを目的とした、

ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』と、

外山滋比古の本書を併せて読むだけで、未だに神聖視されている「読書」についての気負いをだいぶ和らげられるのではないかと思います。

 

もちろん、読書そのものを否定するものではありませんし、

いわゆる基本書というのは抑えておくべきものだと思います。

ただ、その基本書(に限りませんが)の「抑え方」について、

精読しよう、理解しようと気合を入れて立ち向かうのと、

両書の読書論を参考にしながら、”自力で考え”、また”書物の自己投影的性格”を意識して立ち向かうのでは、

同じように通読しても、得られる感想は全然異なるものになるのではないでしょうか。

 

 

<参考>『思考の整理学』

ちくま文庫から出ている、『思考の整理学』の方が有名ですね。

大学の書籍部には必ずと言って良いほど平積みされている書籍かと思います。

(私もはるか昔に読んだ記憶はあるんですが、すっかり忘れてしまっているので、

何かのタイミングで読み直したいですね)

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)